ボストンへの道 最終回

うぉぉ 菌がっ ばいきんがっ どんどん呼吸器系の深部へと侵攻してるよぉぉぉ

息を吸うと肺がきりきり痛い今日この頃、みなさんいかがお過ごしですか?
きっこ風くらいしかでてこないほど弱っております

しかしながら世間様はエイプリルフールというものであり、そして8年前の今日、ワタクシは特大スーツケース2個とともにボストンの地へ降り立ったわけであり、いちおーの節目としてボストンへの道は何がなんでも今日終わらせたいわけであります

よいこのみんな、生きていくって大変なんだねえ

くるしい

さて、希望していたラボ2カ所からそろって好意的なお返事をいただいたペンギン君、まずはどっちかにしぼらんといかん

とは言うものの、大本命のS氏のところからは、推薦状3通をよこせ、という関門があり、まずはそこをクリアーしなきゃっ

んで、こーゆー時こそ謎の顔の広さが絶大なる効力を持つわけで

血液業界の大御所であるN川せんせ、S田せんせ、N野せんせ、という、ワタクシの医学部時代からずっとペンギン君のことを見知っていてくれた大先生達がみなさん快く推薦状を書いて先方に送ってくれたのは大変にありがたかった

で、数週後、S氏より連絡があり
推薦状の内容、どれも非常に良かったよ。んで、こっち来る?

行きますともっ!!

この時もしも、K女史のところへ行ってT細胞系の研究を続けてたら、現在のペンギン君とは全く違うことになってんだろなぁ と思うと感慨深いものがある

ところで、S氏のとこではスペースの問題がありすぐには受け入れられんよ、ということで、この時点からほぼ1年後にボストン行きとなる

で、その最後の1年間にはもうよく思い出せないくらい色々なことがあった

何よりも大きなできごとはおいちゃんに出会ったこと
離婚後の不安定な時期に見つけた心のオアシスである(ベタやなぁ)

そのおいちゃんとの出会いについては、たぶん書くとおいちゃんがいやがるorはずかしがるうえにとても人様にお話できるようなもんでもないと思うので割愛
とにかく、ロバ研最後の1年間は東京住まいのおいちゃんとつくばのペンギン君はいわゆるひとつの遠恋状態だったと思ってくれたまい

その時期のもう一つ大きな記憶は、この頃ロバートとの関係が最悪だったこと

クチもきかないほど決定的に全く仲が悪くなったわけではない
S氏のとこへの留学決定を一番喜んでくれたのもロバートだし

しかし、なんとはなしにギクシャクしていたのは事実で、なんと言っても雑用ばっかさせられてイヤ気がさしていた、ということが大きいと思う

ま、ロバートにして見りゃ、雑用くらいやれよ~ 大してシゴトしてないんだし、ってとこだろう

なんせ、おいちゃんに入れあげてかなり気が散ってたしなぁ
何よりも方向性が見えなくなっててどうしていいかわからんかったしなぁ
あとはロバ研にはなんだかんだ言って通算8年もいたことになるわけで、正直、飽きてたんだよなぁ

しかしながら、同じ雑用やるんでも、全然appreciateせんボスと、ちゃんと報いてくれるボスとでは働きがいが違う、ということを以前の記事で書いたように、ロバートの方にも責任が全くないとは思えなんぞ

ま、過ぎたことなんで置いとくけど
でもって、こういうことは下々が自分で気づいて身を守らなきゃいかんことだと今は思ってるけど

そーゆーわけで、行き先が決定し、残すところ1年弱
ボスとはなんとなしに関係が悪い
だが私生活では大熱愛中

こういう状況で一体、何に興味が向くものか、想像してみてくれ

当然、入れあげたのである おいちゃんに

だらだら実験は続けていたが、それを残り1年でまとめようという気も切実さも無い

毎週末にはつくばから東京まで80kmの道のりをガンガンすっとばしておいちゃんちへ向かうペンギンが一匹

月曜朝のミーティングに間に合うように戻って来て、また金曜の夕方までぐーたら実験して東京へ

それを半年以上続けたわけで 正直

この時期ワタクシほとんどおシゴトしてません

そのようなある意味蜜月状態を続けておったペンギン君、ある日ハタと困ったのである

ボストン行く時、おいちゃんをどうすればいいのだ?

で、ペンギン君、即座に聞いてみた

おいちゃん 一緒に行く?

おいちゃん即答

えいごしゃべれないから いかない

え~え~え~ そうでしょうとも
そうおっしゃると思ってましたわよ

なんせ、新しいことに挑戦する、といったことから最も遠い次元で生きているのがおいちゃんなのである

しかし半年かそこら後にはしばしの別れが予定されていたその時期、突然大きな変化がやってきた

おいちゃんがプーになったのである

おいちゃんがそれまで独占契約していたクライアントが業績悪化のために外注していた業務を打ち切ったというわけで、おいちゃんいきなり無職

ま、無職と言っても、もともとがフリーランスのデザイナーやってたわけで、しかもあの不景気のご時世になぜかえらいこと割のいい仕事してたわけで、いつかこうなることはおいちゃん以外は全員が予想していたわけなのだが

こちとらにしてみりゃ
これでおいちゃん連れてボストンに行けるぢゃん! らっき~♪ ←をい

ところが、ここでおいちゃんが予想外の抵抗を見せる

ボストンなんか行ってもすることがないからヤだよぉ~

それまで何十年も、年に3回のカタログ制作(10日x3回=30日)以外はずっとお散歩とおひるねと読書と定食屋通いしかしてなかったクセして何を言い出すやらこのおいちゃんってば

半年の間、折に触れて説得を続けたものの、なんだかんだと理由をつけて、どーしても行きたくないっ! とゴネるおっしゃるおいちゃん

消極的な方向にだけはやたらと意志が固いおいちゃんを説得することがどーしてもできず、結局、たった一人、ボストンへと旅発つことになったペンギン君なのであった

そういうわけで、やたらと心細い旅立ちとなり、その、行ったばっかのボストンでいきなしたーいへんなことになったのは、ボストン日記からの読者様ならご存じの通り

ワタクシはボストン最初の1年を怒濤の厄年編と名付けたい

まだ読んでない方
これから研究留学を予定されている方
ぜひご一読ください →ボストン日記

んで、うきうき楽しいはずの旅立ちの裏側ではそういうディープなじじょーがあぁぁっ と、思われたそこのアナタ

いつものやつ おねげ →

いや~ ひっぱりにひっぱったあげくがこれかぁ
相変わらずとほほやねぇ ワタクシ