医学部での道草6

まだ不完全ではあるが、やや復活の兆し
前回同じ症状になった時に飲み尽くしてしまったブスコパンを求めて医者に・・行く気力もないペンギン君
見かねたおいちゃんが近所のドラッグストアで
「コレが効くって言ってたよ」
と、買ってきてくれた漢方薬にて急場をしのいだのだが・・
アタシャ本気でなさけなかったっすよ
とほほですよ

<よいこのみんな 東洋医学を甘く見ちゃいかんよ>

さて前回の騒ぎの後、独り立ちする、ということに決まったペンギン君がロバ氏から
「ペンギンはバイオロジー向きだからなぁ。ま、これ、やってみたら?」
と言われて始めたのはMRLlpr/lprという免疫不全動物に関する実験テーマであった

とは言っても、なんせド初心者である
どっから手をつけていいやら
なんせまず自分にできることと言えばFACS使って解析することくらい

そりゃハイブリドーマ作ったり、細胞の活性を調べる実験、みたいなもんもテクとしては身につけていたとは言え、それは何か調べたいことがあっての上で始める実験である
そこまでの基礎データっつーもんが全くない状態でペンギン君にできること、つったら解析くらいなもんだったのだ

で、まぁ型どおりにlprマウスの血液データとって・・・というところから初めて、マウスへの骨髄移植やらなんやら、要するに今現在のペンギン君がやってることとほぼ同じ手順の実験をその時も一つずつやり始めたわけで、その経験が今現在のペンギン君を産んだ・・のだが、ありていに言えばなんも成長してないとも言う

そうこうしているうちに、学年は着実に進んで行く
さすがに3年目ともなると必須科目が増えてきて、時間割がスカスカというわけにはいかなくなってきた

で、どうなるかと言うと、午前中講義、午後の最初の講義聞いたところでラボへ行き、夜中まで実験
あるいは、午前中に細胞準備、午後実習、夕方から実験再開
実験の主力は全くdutyのない土日と長期休暇中
もちろん抜けられる講義はできるだけ抜ける
という感じの生活をそれからほぼ2年半続けることになる

早い話、どーしても抜けられないヤツ以外、ほとんど講義に行かずに研究室に入り浸ってたわけだ

ちなみにかのY沢大先生の講義、こればかりはあまりにもおもしろいので毎回欠かさず出席していた。

ところで、そういう状況であることはなんせなにごとも脳天気なペンギン君、あちこちで吹聴しまくる
それをまた周囲の同級生諸君が非常に暖かく理解してくれていて、たまーにいつもは出ない講義を聴きに行くと、すでに出席簿には名前が書き込まれている、学期末試験前にはノートのコピーをちゃんととっといてくれるし、過去問題がどこからともなくまわってくる、というバックアップ体制がしっかり確立されておった

ありがたやありがたや
卒業できたのはほんっとーに同学年のみなさんのおかげなのである
この場を借りて御礼を・・・

あ、いちおーその代わりといってはなんですが、学生実習の時なんかは逆に恩返ししとったよ
なんせ日頃からやってるわけで、学生実習なんぞ手慣れたもん
誰よりも早く実験終了してさっさと帰っちゃう
で、ついでだってんで、帰る時には出した結果をまとめて誰かに託してくるようにしていたわけよ
それを周囲の人びとが見に来て参考にする、というしくみ
最後の頃なんか、まだ終わらないの~ってペンギン君の結果待ちしてからおもむろに実験開始する常連メンバーまで現れたくらいだから、ま、役には立っていたらしい

それはさて置き
一人でやり始めた研究テーマ、それがまとまって論文になったのは1991年3年生の終わり頃

発表は1992年だけど、実際に活字になるまでには今よりもずっと時間がかかった

途中2度ほど国内の学会発表と1度海外学会発表をする機会があり、このあたり、全く臆せずに参加できたのは学生だろうが研究員だろうが全然分けへだてなく扱ってくれたロバートのおかげである

その学会デビューは3年次、秋の免疫学会だった・・・と思う
(このへん記憶がかなりあやふや)

当時、ちょうど市場に出回り始めたT細胞レセプターのVβ領域に対する色々な抗体を使って、T細胞のネガティブセレクションが起きているかどうかを確認する、という論文があちこちに登場していた

で、同じ抗体使って自己免疫lprマウスではT細胞のネガティブセレクションが起きているかどうか?を調べた結果を発表したペンギン君

この結果と全く同じ内容の論文がその数ヶ月後にはさくっと海外のグループから発表され、結局ボツになったため、論文にしたのは別のネタ。そしてこの時の経験から、流行モノには手を出さない、というスタイルを固持するようになる。

忘れもしないデビュー時のペンギン君
そりゃもぉハンパじゃないくらいあがりまくりましたわよ
心臓が飛び出るんじゃないかってほどバフバフいってるし
レーザーポインターが一カ所にとどまらないくらい手ぇブルブルだし
声なんかビブラートが効いたヨーデルみたいになってるし
今では想像もできないくらいの初々しさ

それでも である
その最初の発表から原稿読まずになんとかしたのだよ
どおどお? えらいっしょ?
質疑応答じゃいきなり10名ほどの手が上がり、どうなることかと死ぬほどおびえたのだが、自分でも意外なほどちゃんと答えられたし

楽屋裏で見ていたロバートはペンギン君以上にほっとしたらしいが

これはなんと言ってもひとえにロバ研のえらいことつっこみの激しいジャークラとプログレで鍛えられたおかげなのである

もちろん特に厳しいつっこみをするのは主としてX兄ぃ
なんせアタマいいし

で、この時期のロバ研というのはボスとか研究員とか院生とか学生とか、そーゆー身分的へだたりのない非常に対等な議論がごくふつうに行われていた

なんせメンツは10名足らずの小所帯
ジャークラやプログレはいつもお茶飲んでいるテーブル囲んでわいわいがやがや
わからんとこがあったらすかさず止めて聞く!というのがごく当たり前の雰囲気だった

つか、「何か聞いたら必ず質問する!」というのがロバートの口癖であり、みんなにそう指導していたということもある

最初はサザンブロットのデータ一つ何のことやらわからずちんぷんかんぷんのペンギン君
しかも普段はハブにされていてほぼ蚊帳の外
だが、ミーティング中だけはそういうホットな空気のおかげで非常にくいこみやすく、次第にお兄さん達の話についていけるようになってくるし、多少きつい質問をされても動じないようにもなってくるがな

現在のペンギン組ジャークラとプログレはこの頃の経験に基づいて、少人数、お茶飲み場、というスタイルを踏襲し、がっつんがっつん質問が飛び交う空気を演出・・しているつもりなのですが、いかがでしょうか? >子分ご一同様

で、大学とラボを一日に何度も往復しつつそれなりに成果が出はじめ、くだんの学会発表ではペンギンなりにではあるけれど無事発表を終え、論文投稿の準備をしているあたりから徐々に変化が起きてきた

まずはちょっとしたことからX妹氏との関係がやや修復され
なんと、最後には彼女の結婚式に招待されるまでになった
仲良くなれば面倒見のいいおねーさんなのである

そして、そのあたりから他のメンバーがいちいちちょっかい出さず放っておいてくれるようになったので非常にものごとが楽になってきた

一貫して直球勝負だったX兄妹との闘いはまさに、お互い若かった、が故のことで今となりゃいい思い出。むしろその尻馬に乗って姑息ないやがらせしてきた2,3名のコバンザメ(今回の一連の文章では一切ふれていない)連中の方をなさけないと感じる今日このごろである。

そして、時の流れとともに研究者ご一同が一人抜け、二人抜け、入れ替わりに新人さんが加わってくるにつれ初期メンバーが徐々にいなくなり、気づけばいつの間にやらロバ氏に次ぐ最古参となっていたペンギン君なのである

そしてこれまた気づけばペンギン君、基礎医学講義が中心だった比較的平和な3・4年次があっと言う間に過ぎ去っておった

そんな中、ほとんどガッコ行ってないペンギン君、どういうわけか留年もせず無事5年に進級

T大学というところは非常に教育熱心であり、あぶないメンツは必ず学期末に呼び集められてハッパをかけられるのだが、それに呼ばれたのは一度きり、しかも
ぺ「現在、ワタシの平均点ってどれくらいなんですか?」
教「62点・・あぶな・」
ぺ「なーんだ ばっちり計算通りじゃないですか~」
ちう会話をかまし、あんぐりお口あけてる担任を残して意気揚々と引き上げてきた、というおまけつき
いいぢゃん、60点=及第点とれてりゃ ねえ?

ところで、5年次といえばポリクリというおとろしい事態が待ち受けているというのに、論文発表を終えたいきおいで新しいテーマなんか開始しちゃったりなんかして・・
まだまだ実験を進められるつもりでいるあくまでも脳天気なペンギン君なのであった

もちろん
ただぢゃすまんわな
以下次号